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むく鳥の体内時計とGPS

2022年05⽉03⽇

東京大学名誉教授  脊山洋右

1.プロローグ:むく鳥と横須賀線電車、朝の出会い

 私は毎週、月・金・土曜日に東京都文京区の白山にある自宅から次男の脊山英徳が2015年に開院した逗子脳神経外科クリニックに通って、認知度の検査という診療を担当しております。新型コロナの感染が広がった2020年の3月からは感染防止のために往復140キロを自らボルボを運転して通っておりましたが、20217月に東京オリンピックが始まったのを機会に横須賀線電車による通勤に切り替えました。私が乗車する644分発の電車は東京駅始発なので感染の危険が少なく快適な乗り物です。

 この電車が新川崎駅を発車して数分後の711分に、左側の車窓に60羽から成るむく鳥の群れが高速で飛翔するのに気が付いたのは8月末のことでした。電車も時速100kmで走っていますので、それは一瞬の出来事でした。

その後何回か目撃しているうちに、むく鳥が偶然に横須賀線の電車と出会うのではなくて、群れが毎朝同じ時間に同じルートを飛んでいると考えるようになりました。

この出会いはその後9月、10月と月日が進んでも続き、年が明けた2022年の3月になっても見られましたので、むく鳥が同じ時間に同じ行動をするのには深い訳があると考えるようになりました。

2.むく鳥の群れにはリーダーがいる

 私は10月にスマホをiPhone13 Pro Maxに機種変更しましたが、このスマホに備わった写真機能は大変優れていて、新川崎を出た直後からビデオ撮影したところむく鳥の飛翔を鮮明にビデオ録画することに成功しました。その1画面を見ると群れは60羽近くからなり、先頭を飛ぶリーダーとその直後の両側に位置するサブリーダーが存在することが分かりました。また雄と雌の2羽が対になっているものも何組かおります(図1)。

   図1 横須賀線の車窓から目撃したむく鳥の群れ

3.むく鳥の飛翔は体内時計だけでは成しえない 

 動物の体内の現象は代謝をはじめ時間によって異なりますが、この現象の時間を規定しているのは体内時計であり、今ではその遺伝子配列や視床下部における発現機構も明らかになっております。

むく鳥も体内時計によって飛翔行動をしていることは容易に察しられますが、電車の窓から目撃した群れとしての行動の裏には位置情報を察知する「GPS機能」というものがあって、これが体内時計と連動して私が目撃した朝の飛翔行動になったのではないかという考えが浮かびました。

 4.体内時計とGPS機能は太陽によって規定される

 ところで、この体内時計の1日周期は24時間11分であって地球の自転よりも11分ほど長いと言われております。このずれを調節して24時間にしているのは太陽の動きを感知することなのです。ネットで検索するとこれは「朝、太陽の光を浴びることだ」と書かれていることが多いのですが、正しくは「日の出の太陽」にではなくて「正午の太陽」に合わせるのだということがわかりました。

私がむく鳥と出会う新川崎の日の出は91日には午前514分、11日には午前651分、41日には午前529分というように1日に2分ずれていきますが、それに対して正午は常に午前1200分で不変なのです。日の出はその方角も毎日ずれていきますが、正午には太陽が常に真南に位置しております。この正午の太陽を基準にして体内時計は24時間00分に調節されているのです。

 この体内時計だけではむく鳥の行動を規定することはできません。身体の位置情報を管理する「GPS機能」も正午の太陽の情報を検知して、南という方角とその高さからむく鳥は自分の位置を認知していると思います。

 時計遺伝子としては既に2群の時計転写遺伝子と2群の時計抑制遺伝子が知られておりますが、今回注目した「GPS機能」も位置遺伝子があって、これも正午の太陽によって調節されていると思いますが、これは今後の研究対象となります。 

5.むく鳥の顔認証

 体内時計と「GPS機能」を結びつける研究対象として毎朝決まった時間に同じような飛翔をするむく鳥は最適かと思いますが、そのためにはむく鳥の個別認証が必要となります。近年の画像解析の技術には優れたものがあり、私が手にした5G対応のスマホでも高速で動く物どうしの行動観察ができます。ただ、リーダーの識別や番いになって飛ぶむく鳥を個別に識別するためにはヒトで培われた顔認証の技術を応用してむく鳥を個々に追跡する必要があります。

 私は以前、ゴールデンハムスターの眼窩にあるハーダー腺が分泌するアルキルジアシルグリセロールの研究をしておりました。この分泌脂質は雄では直鎖の脂肪酸しか含まれておりませんが、雌ではiso型とanteiso型の分枝鎖脂肪酸が多量に含まれているという雌雄差があります1,2)。そこで当時、この脂質はフェロモン機能を持っているのではないかという仮説を立てたのですが(図2)、それを実証する為にはゴールデンハムスターを長時間にわたって個別に行動観察する必要があります。

図2 ハーダー腺脂質の機能

その当時に顔認証ができていれば、AIを用いた動画の画像解析で行動観察する実験計画を立案してフェロモン説を実証できたのではないかと悔やまれます。

1) Seyama,Y., Hida,A., Hayashi,S., and Buzzell,G.R. : J.Biochem., 119, 799-804 (1996)

2) Hida,A., Uchijima,Y., and Seyama,Y. : J.Biochem., 124, 648-653 (1998)

6.横須賀線は2022年3月にダイヤ改正

 2022312日に横須賀線のダイヤ改正が行われ、私が乗っていた644分東京駅始発の電車が平日はこれまで通りですが、土曜日だけは648分発に変わりました。

 その結果、月曜、金曜は相変わらずむく鳥の飛翔と出会いますが、新川崎通過が4分遅くなった土曜日には見かけなくなり、むく鳥の体内時計の正確さを実感した次第です。 

7.エピローグ:文献検索の大切さ

 むく鳥と横須賀線電車との出会いから体内時計とGPS機能の繋がりにまで話が弾みましたが、それに関わる個々の事柄は既に研究されていることが多く、現在ではネットでの情報検索が容易になったお陰で、瞬時に関連する既知の文献を調べられるようになりました。

 私は2010年から医学中央雑誌刊行会に理事長として関わっております。1903年に創刊された「医学中央雑誌」は2000年からは医中誌Web (https://search.jamas.or.jp)(図3)としてオンラインでのデータベースとなり、現在では14,774,131件の文献情報を提供しております。

    図3 医中誌Web

これは国内で発表された文献が中心ですが、最近ではPubMedにもリンクされておりますので、日本語のキーワードを入力して世界の文献を検索することもできます。

体内時計に関する研究は多くの観点から行われて様々なことが明らかになっておりますが、今回取り上げたGPSに関わる位置遺伝子というキーワードでは該当ゼロという検索結果になりました。このことは身体の位置情報をつかさどりGPSとしての機能を果たしている遺伝子は未知の領域にあるという意味であり、今後の研究が待たれます。

 ここに述べたような自然の観察から何か新しいアイデアが浮かんだ折には、是非とも医中誌Webで検索して研究を進めて頂きたいと思います。

 若い会員の活躍を期待する脂質生化学を学んだ先輩からのメッセージです。


「泥臭い脂質研究」への郷愁

2022年01⽉04⽇

北海道大学招聘客員教授、名誉教授 五十嵐靖之

10月に敬愛する梅田眞郷先生より,新しく脂質生化学会のホームページを立ち上げて,そのなかに「脂質の窓」というコーナーを設けたのでぜひ書いてほしいという執筆の依頼を受けた。何を書くの?「なんでもいい、先生のやっている短歌やパンセのブログでもいいですよ」と言われ気が少し楽になり、やっと書いてみる気になった。あまりきちんとしたものでなく、まあ「つぶやき」みたいなものでよいということと理解した。ただし「きれい」とか「うまい」とかつぶやくだけではなく少しは意味のありそうな脂質、あるいは脂質研究に関連した「つぶやき」が求められているようだ。愚痴や不満、あるいは希望、期待でも、かけ声でもよさそうだ。

世の中では終活という活動が盛んらしいが,自分は今、来年春で研究室を閉じる研究終活のさなかにある。日本、アメリカ、そして北大での正規教授として続けてきた脂質研究を、更に13年間、特任教授,その後招聘客員教授として研究室を引き継ぎ、この間スフィンゴ脂質の基礎的研究から最近の創薬,機能性食品開発の応用研究を続けてきたが、来年喜寿を迎えいよいよ終りにすることにした。そしてこの7年間、研究室での最後の研究活動、研究管理と並行しながら、AMED—CREST/PRIMEの「画期的医薬品等の創出を目指す脂質の生理活性と機能の解明」という2015年から8年間続くプロジェクト(AMED脂質)の研究副統括として統括の横山信治先生とともに務めさせていただいた。この間自分達より遥かに若いしかも優れた研究者達の広い分野の研究に、老骨、いや、いや老脳にむち打って、アップアップではあったが真剣に向き合うことができ、個人としても極めて貴重な経験を積ませていただいた。研究の終活を迎えようとしている一老研究者には思いの外刺激的でしかも楽しい時間でもあった。

さて、CRESTの13課題は,それぞれに脂質の研究の実績に基づいてそれを更に発展させようとする課題で、マスイメージング、一分子観察など脂質分子を直接のターゲットにしているもの,リン脂質や酸化リン脂質、スフィンゴ脂質、糖脂質の生理作用や、生理活性脂質の受容体や脂質トランスポーターや脂質輸送蛋白の機能解明を目指し、それらを様々な病態の解明とその治療法に近づける基盤研究が主で、多くの優れた成果を生み出すことができたと考えている。一方、若手研究者が個人で行うPRIMEもそれぞれ将来の発展につながる優れた成果が得られた。その28課題をとってみると、約半数は脂質研究の外からの応募であり臨床を含めて脂質研究に新しい風を入れようとする研究課題が多かった。これらの採用研究課題で一つ感じたことがある。それはかなりの数の研究がじつは脂質を直に扱っているのではなく脂質に関連した分子、遺伝子、タンパク質を解析対象にしたものが圧倒的に多いのに気づく。それは脂質代謝酵素であったり、脂質の結合蛋白や受容体であったり、またその役割を明らかにするのに遺伝子を壊したり導入したりする実験手法をとることが多いので、むしろ当然のことともいえる。またイン・シリコのデータ取得をめざすものもある。そうした新しい技術導入によって脂質研究が進化してきた訳だし、他分野の研究と脂質研究の融合を目指し、脂質研究を広げていく推進力をもたらしているのも確かだ。まして今回のAMED脂質の目標が「画期的医薬品等の創出を目指す」となっていたので尚更でもあろう。

ただ、ここで一つだけ老人の冷や水的な「つぶやき」を許してもらいたい。もちろん今回AMEDで採択された若手研究者に限ったことではなくて、全体として若手研究者の脂質研究で、一度も脂質という分子に触れずに研究が進んでいく仕事が増えていることである。つまり脂質を直にいじらない脂質研究である。脂質の土の匂いがしない。長い間、脂質は泥臭い研究と言われて自分もそう思ってきたが、今の研究はその土の匂いがほとんどしない研究になってきているものが多い。これでいいのだろうかと、それに何かしらもの足らなさを感じてしまうのは、やはり老研究者の時代遅れの「ぼやき」であるかもしれない。しかし、よくよく考えてみると、脂質研究の出発点には、脂質の他の生命分子、核酸や蛋白、糖とは違ってどんな物性、特性のために生命現象に不可欠なのか、その果たしている独自の役割はなんなのかを絶えず見据えて、そして、それを理解するために一つ一つの性質を異にする脂質分子やそのドメイン集合体が、どんな顔や姿をしていて、どんな性格や癖を持っているのかを、脂質分子を直に捕まえて、いじったり、なめたり噛んだり,観察したりしながら肌を通して付き合うことが根本になければ分からないことがあるのではないか、脂質研究の「泥臭さ」がその真骨頂として大切なはずである。そうした視点が現在の脂質研究に薄れつつあるではと気になるのだ。

若い時の自分自身の脂質研究へのきっかけを振り返ってみても、脂質に関する素朴な疑問が契機となって、それに興味を抱き研究が始まっているのに気がつくことがある。そういうことが出来たおおらかな時代だったと言えないこともないが。一つはHanahanの法則、リン脂質の脂肪酸の一位が飽和で2位が不飽和であるということの不思議さに取り付かれたことがある。なぜ逆だったり同じだったりしないのであろうか?核酸塩基のA=T、G=CとなっているというChargaffの法則に基づいて生物学の革命をもたらしたワトソン・クリックの二重螺旋の発見に繋がったように、そこに目に見えない生体膜における脂質の織りなす微細構造に必要な何かがあるのでは?その幻想にはっきりした答えはもちろん見つかっていない。ただ、その頃脂質研究を始めたばかりの自分が当時Hokin先生の提唱したPI代謝回転という現象に興味を抱きとびついたのも、その疑問が出発点なっていたと思う。それはやがて、PI(PIP2)代謝回転で作られたDGの2位のアラキドン酸代謝や分解産物による脂質情報伝達機構に興味を抱き、やがてアメリカに渡ってスフィンゴ脂質の分解代謝産物であるS1Pの生理活性の研究、帰国後のS1Pシグナリング機構やセラミドの機能研究、更にスフィンゴ脂質やコレステロールの局在する膜ドメインの研究につながっていったと言える。

脂質研究の初期にもう一つとらわれたことがあった。アドレン酸と命名された脂肪酸(C22:4)が副腎皮質(Adrenal Cortex)になぜ極端に多く存在しているのか?なぜたくさんあるリン脂質脂肪酸のある種のものだけがある組織、部位に局在している理由は何なのか?偶然?その分子はもしかしたら副腎皮質のステロイドホルモン合成に関わっているのだろうか?1980年代、まだ質量分析法が確立していない時代にガスクロマトグラフィー法で刺激後の含量の変化を調べた研究をして数編の論文を発表したりした。20:4ではなく22:4からやはりプロスタグランジン様の活性分子が作られるのではないかなど、いろいろ考えたが、ポスドクの立場でその追求は実現しなかった。現在、研究室では自分の最後の仕事として植物由来のスフィンゴ糖脂質の皮膚機能増進や認知症予防効果の仕事に携わっているが、その研究過程でラボの研究員の三上大輔博士が、植物に特徴的なスフィンガジエニンが体内吸収後、S1Pリアーゼの作用でC16:1,n-10(サピエン酸)に変換されることを見つけた。人(ホモ・サピエンス)にしかその存在が知られていないからサピエン酸と名付けられているのだが、この分子がなぜ植物スフィンゴ糖脂質の吸収によって動物で作られ、何の役割を果たしているのかを考えるとワクワクしてくる。なにかあるに違いないと。しかしそれに取り組む時間がもう自分には残されていないし、それは後進の若い人に期待したい。

昨年亡くなられた私の恩師である箱守仙一郎先生は「真の研究のオリジナリティとは、誰もが顧みない課題にとりくんで皆を振り向かせせること」だと常日頃言われていた。自分自身が考え、見つけた現象やものを大切にし、時代の流行や研究資金のとりやすさだけを追ってはいけないという戒めだったと思う。もしもう一度初心に還って脂質研究ができたら、あたりまえすぎて誰もが考えつかなかったような、しかも根源的ともいえる課題を見つけて「泥臭い」研究に取り組んでみたいと思うのだが、ああ残念、時間切れ。これもやはり若い人々に期待するしか道はなさそうだ。