脂質の窓Column

このコーナーでは、脂質研究に造詣が深い方々に、研究への思いや日々の随想、近況などをご自由に執筆していただきます。

ポストコロナ時代の人類の生き方 ~人生とは、素敵な地球人になる終わりのない練習である~

2022年12⽉28⽇

北里環境科学センター名誉顧問  伊藤俊洋

はじめに

現在の地球は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による空前のパンデミックの中で、ロシアによるウクライナへの侵攻により第三次世界大戦の危機にも瀕している。核兵器の使用も取りざたされる中で、ウクライナの一般市民が爆撃に晒される惨状を目の当たりにしながら、なす術もなく立ちすくんでいる。経済制裁は両陣営に絶大な犠牲を強いることになり、その被害は常に弱者に強く波及する。なんと無益な所業なのだろうか。 

この度の新型コロナによるパンデミックは、人類が築いて来た文明の脆弱さを、白日のもとに晒している。ウイルスにとって、国境は何の意味も持たない。自国第一主義を掲げていては、世界的なコロナ禍を脱却することはできない。人類は、誕生以来、多種類のウイルスと接してきた。それらが病の原因となることも多々あるが、ヒトのゲノム(全遺伝情報)の約半分はウイルス由来と考えられている。変異株を含むSARS-CoV2について分かったことを検証し、人智を尽くして対策を立て、全ての人が他者を思いやる冷静な行動をとることで、このパンデミックを乗り超えられるだろう。 

この未曾有のパンデミックと戦争を体験している人類には、遺伝情報と環境要因を包括した生命観に基づく新しい哲学が必要なのではないだろうか。その哲学は、子供から老人まで全ての世代の人たち、また、全ての国の人たちが容易に理解できる普遍的なものでなくてはならない。私は、北里大学の教員の時期(1964年〜2007年)に、新入生に対する一般化学の講義の中で、科学全般の入門的な話をしてきた。それは、その後、「宇宙生命哲学」という新しい哲学の提唱へと発展した。 

宇宙生命哲学は、地球上に現存する生物の一員である人類の一人一人が、宇宙における立ち位置と役割を踏まえ、尊厳を持って生きるための哲学である。今回は、この哲学を紹介しながら、これからのポストコロナの時代を生き抜く人類のあり方について私見を述べたい。 

 

文明の起源は記録を残すこと 

人類(ホモ・サピエンス)は、生活を豊かにするために、様々な情報交換の方法を編み出して来たが、およそ1万年ほど前に、考えたことや体験などの情報文字という記録手段で後世に残す方法開発した一旦、それらの情報が記録に残ると、その後に生まれた人類は、蓄積された情報を踏み台にしてその先を考えることができる。

情報の蓄積増幅、人類共有の巨大な知的財産となり、社会で広く利用されるようになった。地球上には多くの民族や国家が誕生し、それぞれが情報を交換しながら独自の文明や文化を創出してきた。

文明相互の交流により知識の裾野は広がり、その上にそびえる科学的知識は進化を重ね、人類は、アッという間に月を往復できるまでの科学的知識を獲得したのである。38億年という生命の歴史の中で、情報を共有する形で記録に残したのは、人類だけである。人類の文明の起源は、情報記録するという行為であると断言しても良いと思う蓄積した科学的知識は、人類共有の財産と考えるべきである 

 

循環している地球上の生命地球環境のパラサイトである 

地球上の生命現象を俯瞰的に眺めてみよう。宇宙から地球を観れば、地球が、水の惑星、生命の惑星であることが容易に理解される。現在の科学的知識に基づくと、地球上のほとんどの生物は、植物や藻類などの光合成で作られた糖類などの栄養素を利用して生きている。光合成とは、植物などが光によって水を分解し、酸素を発生させ、二酸化炭素を糖などの有機物に変換するシステムである。 

動物は、植物と違い、光合成能力を持っていないので、無機化合物(水や二酸化炭素)から、糖などの有機化合物を作ることはできない。動物は、植物などが作った栄養素を利用して生育し、動物どうしの食物連鎖により栄養素の移動が行われる。 

人間は、これらの食物連鎖の頂点に立って、地球上の広範囲の生物を食料源にして生活している。一方、地球上のすべての生物は、死ぬと様々な化学反応によって、単純な化学物質(二酸化炭素、水、ミネラルなど)に変換され、環境に還ってゆく。発生した二酸化炭素は大気の中に無限に拡散してゆく。ミネラルも水に溶けて、大地と海洋を循環する。つまり、人類を含む全ての生物は地球環境から生まれて来て、死ぬと地球環境に還って行き、地球環境のパラサイトとして循環しているといえよう(図1)。 

 

1 :地球上の生命の循環

 

地球は時空を超えた高次元巨大環境生命体である

地球上の生命現象とは、太陽エネルギーを基盤にして、水と二酸化炭素とミネラル群が織りなす壮大な物質循環の世界と捉えることができる。生命現象は、原子論的には、化学反応として表現できる。化学反応とは、複数の原子の電子雲の間で起こる電子のエネルギー準位の変化として説明できる。

電子雲の体積は、原子核に比べて1兆〜千兆倍も大きいが、その領域でめまぐるしく動いている電子の大きさと数を考えると、この電子雲は、大きな空間とみなされる。その存在が、多種多様な化学反応を引き起こす所以である。

この電子雲の中の電子の挙動は、およそ100年前に発見された量子力学という新しい学問で解明されつつあり、電子雲の中には、生命科学を始めとする科学技術の限りない可能性が隠されている。換言すれば、将来の人類社会には、大いなるフロンティア(開拓の可能性)が約束されているといえよう。

「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々はどこへゆくのか?」の問いに対しては、「我々は環境から生まれ、環境に戻る。我々は、時空を超えて、地球上の全ての生物の中を循環している。」と答えることができる(図2)。生物の死とは、絶望的な奈落の淵に落ちて行くことではなく、この地球上で、常に新しく環境の一部として生まれ変わることである。これは、紛れもない科学的な事実である。

 

図2:「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ポール・ゴーギャン/1897年)

 

このことを宇宙的視野でまとめると、地球上の生命世界は、人類をはじめとする全ての動物、植物、微生物、さらには大気、大地、大洋の環境を含めて、時空を超えた高次元巨大環境生命体(宇宙船地球号)と考えることができる。

46億年前に太陽系が誕生してから、地球上では8億年の化学進化の時代があり、その間に、生命の基になるアミノ酸・糖・脂質・塩基といった化学物質が作られ、38億年前に、地球上に奇跡の生命が誕生した。その生命の誕生の謎は、まだ科学的に解明されていない。この課題は、人類が科学的に解明しなければならない最大の謎の一つである。

生命が誕生したこと自体、奇跡のように重大な出来事であったが、それに勝るとも劣らない出来事は、地球環境が、生命を育み継続して子孫を増やせる豊穣な環境になったことである。地球環境は、長い産みの苦しみの後、新しい生命を誕生させ、様々な環境変化に耐え、豊かな生命世界を構築して、現在の生物多様性に彩られた巨大環境生命体となった。巨大環境生命体の誕生を、地球環境に生命が芽生えた時とするならば、その年齢は、38億歳ということになる。

巨大環境生命体は、38億年という長い年月を生き抜いて、今、宇宙空間に青い惑星となって浮かんでいる(図3)。

 

図3:生命の惑星, アポロから見た地球の出(“Earthrise” by Bill Anders from the Apollo spacecraft, Dec. 24, 1968)

 

巨大環境生命体の頭脳としての人類の文明と学問の階層性

この巨大環境生命体の頭脳はどのようなものだろうか。人類は、およそ1万年前に文字を発明し、文明を誕生させて、膨大な量の科学的知識を獲得した。この科学的知識は、物理学、化学、生物学、心理学という基幹学問の相互関係を整理することにより、図4に示す学問の階層性という概念で表現することができる1)

図4 学問の階層性

 

これを要約すると、心理学は生物学によって支えられ、生物学は化学によって支えられ、化学は物理学によって支えられている。これは、近年、著しく細分化し、また先鋭化ている学問領域を、俯瞰的に、また系統的に理解するための方策の一つである。この概念の中で、最も重要な考え方は、形而上学に代表される精神活動も含めて全ての生命現象は、最終的に物理法則で説明されるということである。

人の精神が関与する領域、例えば文学・数学・芸術・宗教・信仰・喜怒哀楽なども、最終的には化学反応として説明される筈である。現在、多くの生命現象が化学反応として説明できていないのは、科学が未成熟のためである。逆に言えば、人類の未来には多くの可能性が残されていると言って良い。

巨大環境生命体の頭脳は、この学問の階層性として纏めた情報ネットワークと考えて良いだろう。このネットワークは、過去のすべての人類の努力の賜物であり、現在も凄まじい勢いで成長しつつある。図の中で宇宙生命哲学を心理学の上に位置付たのは、この哲学が、物理学、化学、生物学、心理学という基幹学問の中心軸として、文明社会に対する指針の役割を担っていると考えたからである。ピラミッドの先端に位置するX文明は、まさにこれからのポストコロナの世の中で人類が目指すべき文明である。全ての人類は、宇宙生命哲学の理念に則り、新しい文明世界を切り開いて行く絶好の機会に遭遇していると考えたい。

全ての生物の頂点に立っている人類は、生物の代表者として、この宇宙船の羅針盤の役割を担っている。特に、科学、教育、政治、経済、宗教に関わる人たちは、この学問の階層性について、深く理解して欲しい。

 

素敵な地球人になる終わりのない練習

このような立場にある人類は、どのように人生を送ったら良いのだろうか。人間の一生は、素敵な地球人になる終わりのない練習を続けていると考えよう。素敵な地球人の定義は、人それぞれで違っていて良いと思う。人生は、それぞれの人が、自分の目指す素敵な地球人像を、生涯かけて探し続けることではないか。急がず、休まず、ゆっくりと、着実に、一歩、一歩、自分のペースで人生を刻んでゆく。その過程で、人と交流し、学び、互いに助け合いながら、自分の人生を思う存分に楽しむことができるだろう。練習だから失敗も許される。失敗しても、失敗しても、再挑戦が許される。この哲学の、最大の特徴の1つである。

 

さて、素敵な地球人になるための心得を列記してみよう。

 常に、宇宙から地球を観る感覚で思索する。物事を、科学的に考える。原子論に基づいて考える。生命にとって最も大切なものは地球環境であると考える。地球が自分の家だと思って思索し、行動する。現在の生活基盤は、過去の人類の努力の賜物であると考える。世界の人たちと連帯することを考える。苦労することを厭わない。利他の精神を大切にする。欲張らない。そこそこの生活に幸せを見つける習慣をつける。仕事で得られた富は、地球人のために使うようにする。日常生活の中で、仕事、家庭、趣味、社会奉仕活動を大切にする。

現時点で、私は、次のような人を「素敵な地球人」だと考えている。

素敵な地球人は、国家・人種・民族・宗教・性別・貧富の差・文化・文明の壁を越えて仲良くし、あらゆる人権を尊重し、民族の多様性、生物の多様性を尊重し、あらゆる生物を大切にする。戦争をしない、むやみに水や空気や土壌を汚さない、生活を楽しむ、そして、自分の心の宇宙を、広く、深く、豊かなものにする努力を死ぬまで続ける人である。

この度のコロナ禍で、またウクライナで、多くの素敵な地球人が、志半ばでこの世を去った。過酷な医療現場で病魔に襲われ、壮絶な人生を全された医療従事者も数知れない。残されたご遺族や友人の心の中に、その神々しい姿が末長く生き続けて、残りの人生を生き抜くための限りない力となることを願っている。そして、我々は、地球環境の中で循環していることを、身を持って感じ取ることができる。

世界が注目した東京五輪2020と北京冬季五輪2022の開会式で、ヨーコとジョンの「イマジン」が世界を一つに結んだ。資本主義社会と社会主義社会が目指しているところが、奇しくも同じであることが証明された出来事であった。「宇宙生命哲学」の精神にも繋がっている。

想像してごらん / 天国も地獄もない / 国も宗教もない / 飢えや争いごともなく / みんな一つの世界で / 一緒に生きている / 夢じゃないよ / みんながその気になれば / すぐ実現する

 

私も、本当に、そう思っている。今、地球上で戦争に突き進んでいる指導者たちに、心からこのメッセージを届けたい。

  • Itoh,T., Arch. Environ. Sci. & Environ. Toxicol., 4; 132
  • 本稿は、2022年「中央線」(および、タウン誌「Life Crossing」68号、69号)より転載したものであり、相模経済新聞に掲載のコラム(2017410日号〜2018310日号:地球環境核戦争が始まった、2018年4月10日号〜2022910日号:宇宙生命哲学ことはじめ)の内容を元に執筆した。

むく鳥の体内時計とGPS

2022年05⽉03⽇

東京大学名誉教授  脊山洋右

1.プロローグ:むく鳥と横須賀線電車、朝の出会い

 私は毎週、月・金・土曜日に東京都文京区の白山にある自宅から次男の脊山英徳が2015年に開院した逗子脳神経外科クリニックに通って、認知度の検査という診療を担当しております。新型コロナの感染が広がった2020年の3月からは感染防止のために往復140キロを自らボルボを運転して通っておりましたが、20217月に東京オリンピックが始まったのを機会に横須賀線電車による通勤に切り替えました。私が乗車する644分発の電車は東京駅始発なので感染の危険が少なく快適な乗り物です。

 この電車が新川崎駅を発車して数分後の711分に、左側の車窓に60羽から成るむく鳥の群れが高速で飛翔するのに気が付いたのは8月末のことでした。電車も時速100kmで走っていますので、それは一瞬の出来事でした。

その後何回か目撃しているうちに、むく鳥が偶然に横須賀線の電車と出会うのではなくて、群れが毎朝同じ時間に同じルートを飛んでいると考えるようになりました。

この出会いはその後9月、10月と月日が進んでも続き、年が明けた2022年の3月になっても見られましたので、むく鳥が同じ時間に同じ行動をするのには深い訳があると考えるようになりました。

2.むく鳥の群れにはリーダーがいる

 私は10月にスマホをiPhone13 Pro Maxに機種変更しましたが、このスマホに備わった写真機能は大変優れていて、新川崎を出た直後からビデオ撮影したところむく鳥の飛翔を鮮明にビデオ録画することに成功しました。その1画面を見ると群れは60羽近くからなり、先頭を飛ぶリーダーとその直後の両側に位置するサブリーダーが存在することが分かりました。また雄と雌の2羽が対になっているものも何組かおります(図1)。

   図1 横須賀線の車窓から目撃したむく鳥の群れ

3.むく鳥の飛翔は体内時計だけでは成しえない 

 動物の体内の現象は代謝をはじめ時間によって異なりますが、この現象の時間を規定しているのは体内時計であり、今ではその遺伝子配列や視床下部における発現機構も明らかになっております。

むく鳥も体内時計によって飛翔行動をしていることは容易に察しられますが、電車の窓から目撃した群れとしての行動の裏には位置情報を察知する「GPS機能」というものがあって、これが体内時計と連動して私が目撃した朝の飛翔行動になったのではないかという考えが浮かびました。

 4.体内時計とGPS機能は太陽によって規定される

 ところで、この体内時計の1日周期は24時間11分であって地球の自転よりも11分ほど長いと言われております。このずれを調節して24時間にしているのは太陽の動きを感知することなのです。ネットで検索するとこれは「朝、太陽の光を浴びることだ」と書かれていることが多いのですが、正しくは「日の出の太陽」にではなくて「正午の太陽」に合わせるのだということがわかりました。

私がむく鳥と出会う新川崎の日の出は91日には午前514分、11日には午前651分、41日には午前529分というように1日に2分ずれていきますが、それに対して正午は常に午前1200分で不変なのです。日の出はその方角も毎日ずれていきますが、正午には太陽が常に真南に位置しております。この正午の太陽を基準にして体内時計は24時間00分に調節されているのです。

 この体内時計だけではむく鳥の行動を規定することはできません。身体の位置情報を管理する「GPS機能」も正午の太陽の情報を検知して、南という方角とその高さからむく鳥は自分の位置を認知していると思います。

 時計遺伝子としては既に2群の時計転写遺伝子と2群の時計抑制遺伝子が知られておりますが、今回注目した「GPS機能」も位置遺伝子があって、これも正午の太陽によって調節されていると思いますが、これは今後の研究対象となります。 

5.むく鳥の顔認証

 体内時計と「GPS機能」を結びつける研究対象として毎朝決まった時間に同じような飛翔をするむく鳥は最適かと思いますが、そのためにはむく鳥の個別認証が必要となります。近年の画像解析の技術には優れたものがあり、私が手にした5G対応のスマホでも高速で動く物どうしの行動観察ができます。ただ、リーダーの識別や番いになって飛ぶむく鳥を個別に識別するためにはヒトで培われた顔認証の技術を応用してむく鳥を個々に追跡する必要があります。

 私は以前、ゴールデンハムスターの眼窩にあるハーダー腺が分泌するアルキルジアシルグリセロールの研究をしておりました。この分泌脂質は雄では直鎖の脂肪酸しか含まれておりませんが、雌ではiso型とanteiso型の分枝鎖脂肪酸が多量に含まれているという雌雄差があります1,2)。そこで当時、この脂質はフェロモン機能を持っているのではないかという仮説を立てたのですが(図2)、それを実証する為にはゴールデンハムスターを長時間にわたって個別に行動観察する必要があります。

図2 ハーダー腺脂質の機能

その当時に顔認証ができていれば、AIを用いた動画の画像解析で行動観察する実験計画を立案してフェロモン説を実証できたのではないかと悔やまれます。

1) Seyama,Y., Hida,A., Hayashi,S., and Buzzell,G.R. : J.Biochem., 119, 799-804 (1996)

2) Hida,A., Uchijima,Y., and Seyama,Y. : J.Biochem., 124, 648-653 (1998)

6.横須賀線は2022年3月にダイヤ改正

 2022312日に横須賀線のダイヤ改正が行われ、私が乗っていた644分東京駅始発の電車が平日はこれまで通りですが、土曜日だけは648分発に変わりました。

 その結果、月曜、金曜は相変わらずむく鳥の飛翔と出会いますが、新川崎通過が4分遅くなった土曜日には見かけなくなり、むく鳥の体内時計の正確さを実感した次第です。 

7.エピローグ:文献検索の大切さ

 むく鳥と横須賀線電車との出会いから体内時計とGPS機能の繋がりにまで話が弾みましたが、それに関わる個々の事柄は既に研究されていることが多く、現在ではネットでの情報検索が容易になったお陰で、瞬時に関連する既知の文献を調べられるようになりました。

 私は2010年から医学中央雑誌刊行会に理事長として関わっております。1903年に創刊された「医学中央雑誌」は2000年からは医中誌Web (https://search.jamas.or.jp)(図3)としてオンラインでのデータベースとなり、現在では14,774,131件の文献情報を提供しております。

    図3 医中誌Web

これは国内で発表された文献が中心ですが、最近ではPubMedにもリンクされておりますので、日本語のキーワードを入力して世界の文献を検索することもできます。

体内時計に関する研究は多くの観点から行われて様々なことが明らかになっておりますが、今回取り上げたGPSに関わる位置遺伝子というキーワードでは該当ゼロという検索結果になりました。このことは身体の位置情報をつかさどりGPSとしての機能を果たしている遺伝子は未知の領域にあるという意味であり、今後の研究が待たれます。

 ここに述べたような自然の観察から何か新しいアイデアが浮かんだ折には、是非とも医中誌Webで検索して研究を進めて頂きたいと思います。

 若い会員の活躍を期待する脂質生化学を学んだ先輩からのメッセージです。


「泥臭い脂質研究」への郷愁

2022年01⽉04⽇

北海道大学招聘客員教授、名誉教授 五十嵐靖之

10月に敬愛する梅田眞郷先生より,新しく脂質生化学会のホームページを立ち上げて,そのなかに「脂質の窓」というコーナーを設けたのでぜひ書いてほしいという執筆の依頼を受けた。何を書くの?「なんでもいい、先生のやっている短歌やパンセのブログでもいいですよ」と言われ気が少し楽になり、やっと書いてみる気になった。あまりきちんとしたものでなく、まあ「つぶやき」みたいなものでよいということと理解した。ただし「きれい」とか「うまい」とかつぶやくだけではなく少しは意味のありそうな脂質、あるいは脂質研究に関連した「つぶやき」が求められているようだ。愚痴や不満、あるいは希望、期待でも、かけ声でもよさそうだ。

世の中では終活という活動が盛んらしいが,自分は今、来年春で研究室を閉じる研究終活のさなかにある。日本、アメリカ、そして北大での正規教授として続けてきた脂質研究を、更に13年間、特任教授,その後招聘客員教授として研究室を引き継ぎ、この間スフィンゴ脂質の基礎的研究から最近の創薬,機能性食品開発の応用研究を続けてきたが、来年喜寿を迎えいよいよ終りにすることにした。そしてこの7年間、研究室での最後の研究活動、研究管理と並行しながら、AMED—CREST/PRIMEの「画期的医薬品等の創出を目指す脂質の生理活性と機能の解明」という2015年から8年間続くプロジェクト(AMED脂質)の研究副統括として統括の横山信治先生とともに務めさせていただいた。この間自分達より遥かに若いしかも優れた研究者達の広い分野の研究に、老骨、いや、いや老脳にむち打って、アップアップではあったが真剣に向き合うことができ、個人としても極めて貴重な経験を積ませていただいた。研究の終活を迎えようとしている一老研究者には思いの外刺激的でしかも楽しい時間でもあった。

さて、CRESTの13課題は,それぞれに脂質の研究の実績に基づいてそれを更に発展させようとする課題で、マスイメージング、一分子観察など脂質分子を直接のターゲットにしているもの,リン脂質や酸化リン脂質、スフィンゴ脂質、糖脂質の生理作用や、生理活性脂質の受容体や脂質トランスポーターや脂質輸送蛋白の機能解明を目指し、それらを様々な病態の解明とその治療法に近づける基盤研究が主で、多くの優れた成果を生み出すことができたと考えている。一方、若手研究者が個人で行うPRIMEもそれぞれ将来の発展につながる優れた成果が得られた。その28課題をとってみると、約半数は脂質研究の外からの応募であり臨床を含めて脂質研究に新しい風を入れようとする研究課題が多かった。これらの採用研究課題で一つ感じたことがある。それはかなりの数の研究がじつは脂質を直に扱っているのではなく脂質に関連した分子、遺伝子、タンパク質を解析対象にしたものが圧倒的に多いのに気づく。それは脂質代謝酵素であったり、脂質の結合蛋白や受容体であったり、またその役割を明らかにするのに遺伝子を壊したり導入したりする実験手法をとることが多いので、むしろ当然のことともいえる。またイン・シリコのデータ取得をめざすものもある。そうした新しい技術導入によって脂質研究が進化してきた訳だし、他分野の研究と脂質研究の融合を目指し、脂質研究を広げていく推進力をもたらしているのも確かだ。まして今回のAMED脂質の目標が「画期的医薬品等の創出を目指す」となっていたので尚更でもあろう。

ただ、ここで一つだけ老人の冷や水的な「つぶやき」を許してもらいたい。もちろん今回AMEDで採択された若手研究者に限ったことではなくて、全体として若手研究者の脂質研究で、一度も脂質という分子に触れずに研究が進んでいく仕事が増えていることである。つまり脂質を直にいじらない脂質研究である。脂質の土の匂いがしない。長い間、脂質は泥臭い研究と言われて自分もそう思ってきたが、今の研究はその土の匂いがほとんどしない研究になってきているものが多い。これでいいのだろうかと、それに何かしらもの足らなさを感じてしまうのは、やはり老研究者の時代遅れの「ぼやき」であるかもしれない。しかし、よくよく考えてみると、脂質研究の出発点には、脂質の他の生命分子、核酸や蛋白、糖とは違ってどんな物性、特性のために生命現象に不可欠なのか、その果たしている独自の役割はなんなのかを絶えず見据えて、そして、それを理解するために一つ一つの性質を異にする脂質分子やそのドメイン集合体が、どんな顔や姿をしていて、どんな性格や癖を持っているのかを、脂質分子を直に捕まえて、いじったり、なめたり噛んだり,観察したりしながら肌を通して付き合うことが根本になければ分からないことがあるのではないか、脂質研究の「泥臭さ」がその真骨頂として大切なはずである。そうした視点が現在の脂質研究に薄れつつあるではと気になるのだ。

若い時の自分自身の脂質研究へのきっかけを振り返ってみても、脂質に関する素朴な疑問が契機となって、それに興味を抱き研究が始まっているのに気がつくことがある。そういうことが出来たおおらかな時代だったと言えないこともないが。一つはHanahanの法則、リン脂質の脂肪酸の一位が飽和で2位が不飽和であるということの不思議さに取り付かれたことがある。なぜ逆だったり同じだったりしないのであろうか?核酸塩基のA=T、G=CとなっているというChargaffの法則に基づいて生物学の革命をもたらしたワトソン・クリックの二重螺旋の発見に繋がったように、そこに目に見えない生体膜における脂質の織りなす微細構造に必要な何かがあるのでは?その幻想にはっきりした答えはもちろん見つかっていない。ただ、その頃脂質研究を始めたばかりの自分が当時Hokin先生の提唱したPI代謝回転という現象に興味を抱きとびついたのも、その疑問が出発点なっていたと思う。それはやがて、PI(PIP2)代謝回転で作られたDGの2位のアラキドン酸代謝や分解産物による脂質情報伝達機構に興味を抱き、やがてアメリカに渡ってスフィンゴ脂質の分解代謝産物であるS1Pの生理活性の研究、帰国後のS1Pシグナリング機構やセラミドの機能研究、更にスフィンゴ脂質やコレステロールの局在する膜ドメインの研究につながっていったと言える。

脂質研究の初期にもう一つとらわれたことがあった。アドレン酸と命名された脂肪酸(C22:4)が副腎皮質(Adrenal Cortex)になぜ極端に多く存在しているのか?なぜたくさんあるリン脂質脂肪酸のある種のものだけがある組織、部位に局在している理由は何なのか?偶然?その分子はもしかしたら副腎皮質のステロイドホルモン合成に関わっているのだろうか?1980年代、まだ質量分析法が確立していない時代にガスクロマトグラフィー法で刺激後の含量の変化を調べた研究をして数編の論文を発表したりした。20:4ではなく22:4からやはりプロスタグランジン様の活性分子が作られるのではないかなど、いろいろ考えたが、ポスドクの立場でその追求は実現しなかった。現在、研究室では自分の最後の仕事として植物由来のスフィンゴ糖脂質の皮膚機能増進や認知症予防効果の仕事に携わっているが、その研究過程でラボの研究員の三上大輔博士が、植物に特徴的なスフィンガジエニンが体内吸収後、S1Pリアーゼの作用でC16:1,n-10(サピエン酸)に変換されることを見つけた。人(ホモ・サピエンス)にしかその存在が知られていないからサピエン酸と名付けられているのだが、この分子がなぜ植物スフィンゴ糖脂質の吸収によって動物で作られ、何の役割を果たしているのかを考えるとワクワクしてくる。なにかあるに違いないと。しかしそれに取り組む時間がもう自分には残されていないし、それは後進の若い人に期待したい。

昨年亡くなられた私の恩師である箱守仙一郎先生は「真の研究のオリジナリティとは、誰もが顧みない課題にとりくんで皆を振り向かせせること」だと常日頃言われていた。自分自身が考え、見つけた現象やものを大切にし、時代の流行や研究資金のとりやすさだけを追ってはいけないという戒めだったと思う。もしもう一度初心に還って脂質研究ができたら、あたりまえすぎて誰もが考えつかなかったような、しかも根源的ともいえる課題を見つけて「泥臭い」研究に取り組んでみたいと思うのだが、ああ残念、時間切れ。これもやはり若い人々に期待するしか道はなさそうだ。