脂質の窓column

むく鳥の体内時計とGPS

東京大学名誉教授  脊山洋右

1.プロローグ:むく鳥と横須賀線電車、朝の出会い

 私は毎週、月・金・土曜日に東京都文京区の白山にある自宅から次男の脊山英徳が2015年に開院した逗子脳神経外科クリニックに通って、認知度の検査という診療を担当しております。新型コロナの感染が広がった2020年の3月からは感染防止のために往復140キロを自らボルボを運転して通っておりましたが、20217月に東京オリンピックが始まったのを機会に横須賀線電車による通勤に切り替えました。私が乗車する644分発の電車は東京駅始発なので感染の危険が少なく快適な乗り物です。

 この電車が新川崎駅を発車して数分後の711分に、左側の車窓に60羽から成るむく鳥の群れが高速で飛翔するのに気が付いたのは8月末のことでした。電車も時速100kmで走っていますので、それは一瞬の出来事でした。

その後何回か目撃しているうちに、むく鳥が偶然に横須賀線の電車と出会うのではなくて、群れが毎朝同じ時間に同じルートを飛んでいると考えるようになりました。

この出会いはその後9月、10月と月日が進んでも続き、年が明けた2022年の3月になっても見られましたので、むく鳥が同じ時間に同じ行動をするのには深い訳があると考えるようになりました。

2.むく鳥の群れにはリーダーがいる

 私は10月にスマホをiPhone13 Pro Maxに機種変更しましたが、このスマホに備わった写真機能は大変優れていて、新川崎を出た直後からビデオ撮影したところむく鳥の飛翔を鮮明にビデオ録画することに成功しました。その1画面を見ると群れは60羽近くからなり、先頭を飛ぶリーダーとその直後の両側に位置するサブリーダーが存在することが分かりました。また雄と雌の2羽が対になっているものも何組かおります(図1)。

   図1 横須賀線の車窓から目撃したむく鳥の群れ

3.むく鳥の飛翔は体内時計だけでは成しえない 

 動物の体内の現象は代謝をはじめ時間によって異なりますが、この現象の時間を規定しているのは体内時計であり、今ではその遺伝子配列や視床下部における発現機構も明らかになっております。

むく鳥も体内時計によって飛翔行動をしていることは容易に察しられますが、電車の窓から目撃した群れとしての行動の裏には位置情報を察知する「GPS機能」というものがあって、これが体内時計と連動して私が目撃した朝の飛翔行動になったのではないかという考えが浮かびました。

 4.体内時計とGPS機能は太陽によって規定される

 ところで、この体内時計の1日周期は24時間11分であって地球の自転よりも11分ほど長いと言われております。このずれを調節して24時間にしているのは太陽の動きを感知することなのです。ネットで検索するとこれは「朝、太陽の光を浴びることだ」と書かれていることが多いのですが、正しくは「日の出の太陽」にではなくて「正午の太陽」に合わせるのだということがわかりました。

私がむく鳥と出会う新川崎の日の出は91日には午前514分、11日には午前651分、41日には午前529分というように1日に2分ずれていきますが、それに対して正午は常に午前1200分で不変なのです。日の出はその方角も毎日ずれていきますが、正午には太陽が常に真南に位置しております。この正午の太陽を基準にして体内時計は24時間00分に調節されているのです。

 この体内時計だけではむく鳥の行動を規定することはできません。身体の位置情報を管理する「GPS機能」も正午の太陽の情報を検知して、南という方角とその高さからむく鳥は自分の位置を認知していると思います。

 時計遺伝子としては既に2群の時計転写遺伝子と2群の時計抑制遺伝子が知られておりますが、今回注目した「GPS機能」も位置遺伝子があって、これも正午の太陽によって調節されていると思いますが、これは今後の研究対象となります。 

5.むく鳥の顔認証

 体内時計と「GPS機能」を結びつける研究対象として毎朝決まった時間に同じような飛翔をするむく鳥は最適かと思いますが、そのためにはむく鳥の個別認証が必要となります。近年の画像解析の技術には優れたものがあり、私が手にした5G対応のスマホでも高速で動く物どうしの行動観察ができます。ただ、リーダーの識別や番いになって飛ぶむく鳥を個別に識別するためにはヒトで培われた顔認証の技術を応用してむく鳥を個々に追跡する必要があります。

 私は以前、ゴールデンハムスターの眼窩にあるハーダー腺が分泌するアルキルジアシルグリセロールの研究をしておりました。この分泌脂質は雄では直鎖の脂肪酸しか含まれておりませんが、雌ではiso型とanteiso型の分枝鎖脂肪酸が多量に含まれているという雌雄差があります1,2)。そこで当時、この脂質はフェロモン機能を持っているのではないかという仮説を立てたのですが(図2)、それを実証する為にはゴールデンハムスターを長時間にわたって個別に行動観察する必要があります。

図2 ハーダー腺脂質の機能

その当時に顔認証ができていれば、AIを用いた動画の画像解析で行動観察する実験計画を立案してフェロモン説を実証できたのではないかと悔やまれます。

1) Seyama,Y., Hida,A., Hayashi,S., and Buzzell,G.R. : J.Biochem., 119, 799-804 (1996)

2) Hida,A., Uchijima,Y., and Seyama,Y. : J.Biochem., 124, 648-653 (1998)

6.横須賀線は2022年3月にダイヤ改正

 2022312日に横須賀線のダイヤ改正が行われ、私が乗っていた644分東京駅始発の電車が平日はこれまで通りですが、土曜日だけは648分発に変わりました。

 その結果、月曜、金曜は相変わらずむく鳥の飛翔と出会いますが、新川崎通過が4分遅くなった土曜日には見かけなくなり、むく鳥の体内時計の正確さを実感した次第です。 

7.エピローグ:文献検索の大切さ

 むく鳥と横須賀線電車との出会いから体内時計とGPS機能の繋がりにまで話が弾みましたが、それに関わる個々の事柄は既に研究されていることが多く、現在ではネットでの情報検索が容易になったお陰で、瞬時に関連する既知の文献を調べられるようになりました。

 私は2010年から医学中央雑誌刊行会に理事長として関わっております。1903年に創刊された「医学中央雑誌」は2000年からは医中誌Web (https://search.jamas.or.jp)(図3)としてオンラインでのデータベースとなり、現在では14,774,131件の文献情報を提供しております。

    図3 医中誌Web

これは国内で発表された文献が中心ですが、最近ではPubMedにもリンクされておりますので、日本語のキーワードを入力して世界の文献を検索することもできます。

体内時計に関する研究は多くの観点から行われて様々なことが明らかになっておりますが、今回取り上げたGPSに関わる位置遺伝子というキーワードでは該当ゼロという検索結果になりました。このことは身体の位置情報をつかさどりGPSとしての機能を果たしている遺伝子は未知の領域にあるという意味であり、今後の研究が待たれます。

 ここに述べたような自然の観察から何か新しいアイデアが浮かんだ折には、是非とも医中誌Webで検索して研究を進めて頂きたいと思います。

 若い会員の活躍を期待する脂質生化学を学んだ先輩からのメッセージです。